札幌家庭裁判所 平成8年(家)322号 審判 1996年8月05日
申立人 恋川素乃子
相手方 恋川秀光
事件本人 恋川光成
主文
1 事件本人の監護者を申立人と定める。
2 相手方は、申立人が事件本人を引き取ることを妨害してはならない。
理由
第1申立ての実情
1 申立人は、昭和63年5月相手方と婚姻し、同年7月に長女里沙(以下「里沙」という。)を出産した後、平成元年7月21日長男の事件本人を出産した。しかし、申立人が働くようになった平成6年6月頃から次第に夫婦関係が悪化し、当事者双方は、平成7年8月中旬頃離婚の意思を固めた。ところが、その後相手方が、申立人に対し里沙と事件本人(以下「子ら」という。)を置いて出て行くように言い出したため、申立人は、同月31日、子らを連れて家を出て行き、名古屋市在住の申立人の両親宅に身を寄せた。子らは、申立人の監護養育の下で同市での生活に馴染み、同市内の小学校や保育園にそれぞれ通って元気に暮らしていた。
2 ところが、相手方は、同年10月18日、突然相手方の姉恋川夕子(以下「夕子」という。)及び相手方の友人と共に同市を訪れ、登校途中の里沙を待ち伏せて実力で連れ去ろうとした。しかし、この時は同女が激しく抵抗したため、相手方らは諦めて札幌市に帰って行った。
3 更に、相手方は、平成8年1月18日、再度夕子及び相手方の友人と共に名古屋市を訪れ、子らを待ち伏せした上、サッカー教室に通う途中の事件本人を札幌市の自宅に連れ去った。申立人は、同月22日、弁護士と共に同市の相手方宅に赴き、事件本人を返すよう頼んだが、これに応じてもらえず、事件本人に会ったりその声を聞いたりすることもできなかった。
4 相手方は、仕事の関係で日常的に事件本人を監護することはできず、相手方の母が事件本人の面倒を見ているが、同女は高齢で身体が弱く、今後継続して事件本人の監護を行うことは到底不可能である。また、事件本人は、現在相手方の両親宅からほとんど外出させてもらえず、監禁同様の状態である上、仲の良かった里沙とも引き離されている状態であり、事件本人の福祉のためには、一刻も早く事件本人を申立人に引き取らせて申立人及び里沙と一緒に生活させる必要がある。
5 よって、主文同旨の審判と、相手方は、申立人に事件本人を引き渡せとの審判を求める。
第2当裁判所の判断
1 本件記録及び平成8年(家ロ)第××号事件記録によると、以下の事実を認めることができる。
(1) 申立人は、昭和63年5月8日相手方と婚姻し、同年7月6日に長女里沙(以下「里沙」という。)を出産した後、平成元年7月21日長男の事件本人を出産した。婚姻当初、夫婦仲は悪くなく、相手方は運送会社に勤務して運転手として働き、申立人は家事と育児に専念していた。そのうち、子らの成長とともに相手方の収入だけでは生活費が不足するようになり、申立人の両親や妹から生活費の援助を受けるようになったため、申立人は、生活費を賄うべく、相手方の了解を得て平成6年6月頃からレストランでウエイトレスのパートをして働き始めた。
ところが、申立人が働き出した後、相手方は、申立人の帰宅時間が遅いことや子らに留守番をさせていたことを責めたて、更には、家事を手抜きし過ぎるなどと繰り返し文句を言うようになり、申立人に完璧な家事や育児を求める相手方と、家事や育児と仕事を両立させようとする申立人とが激しく対立し、夫婦関係が次第に悪化していった。
このような中で、申立人は、ストレスを溜め、子らに対してもゆとりを持って接することができなくなっていったが、相手方はこのような様子を見てますます不満を募らせ、更に夫婦関係が悪化し、当事者双方とも平成7年8月中旬頃までに離婚の意思を固めるに至った。
そして、当事者双方で協議した結果、相手方は、一旦は申立人が子らの親権者となる旨記載した離婚届に署名したものの、その後同離婚届の不受理願いを提出し、申立人に子らを置いて出て行くように言い出した。そこで、申立人は、相手方とこれ以上協議することはできないと考え、同月31日、相手方に無断で子らを連れて家を飛び出し、名古屋市の申立人の両親宅に身を寄せて、申立人、子ら、申立人の両親及び申立人の妹の6人で暮らすようになった。その後、子らは、申立人の監護養育の下で同市での生活に馴染み、同市内の小学校・保育園に通い、サッカー教室にも入り、友達を作って元気に暮らしていた。
一方、相手方は、子らの生活状況を心配して申立人には養育監護を任せられないと考えるようになり、同年10月18日、突然夕子及び相手方の友人と共に同市を訪れ、登校途中の里沙を待ち伏せて実力で連れ去ろうとしたものの、同女に激しく抵抗され、小学校の校長や警察官も駆けつける騒ぎになったため、同女を連れ去るのを諦めて札幌市に帰った。
更に、相手方は、平成8年1月18日、再び夕子及び相手方の友人と共に名古屋市を訪れ、サッカー教室に通う途中の子らを待ち伏せした上、事件本人のみを札幌市に連れ去り、以後、相手方の実家において、相手方、事件本人、相手方の両親及び夕子の5名で暮らすようになった。これに対し、申立人は、同月22日、相手方宅に赴いて事件本人を返すよう求めたが、相手方はこれに応じなかった。
その後、相手方は、離婚を前提とし、子らの親権について申立人と協議するため名古屋家庭裁判所に夫婦関係調整の調停を申し立てたが、同年5月15日、子らの親権につき協議が整わず不成立で終了した。申立人は、その間の同年3月25日、本件を申し立て、同年4月18日に調停に付された(平成8年(家イ)第××号事件)が、当時者双方とも事件本人を引き取って養育監護したいという意向が強く、合意が成立する見込みがなかったため、同年5月23日、不成立により上記調停が終了し、同日審判手続に移行した。
(2) 申立人及び里沙の状況
申立人は、名古屋市において、実家の一戸建て住宅に里沙、申立人の父(昭和12年8月15日生)、母(昭和14年12月22日生)及び妹(昭和39年10月7日生)の5人で暮らしている。近隣に里沙の通う小学校があり、同女の監護は申立人が行っているが、申立人の両親及び妹から補助してもらうこともある。また、申立人は、平成8年4月から無職の状態であるが、申立人の両親から生活費の援助を受けており、今後も申立人の家族の協力や援助が期待できる。
申立人は、現在、相手方と同居していた頃に比べて精神的に落ち着き、余裕をもって里沙の養育監護を行える状態になっており、今後事件本人を引き取って監護することになれば、子らの気持ちを大切にして伸び伸び育て、相手方が子らに面接交渉することも認めようと考えていることが窺われる。
里沙は、札幌市には行きたくない旨明言し、名古屋市で事件本人と一緒に暮らすことを希望している。
(3) 相手方及び事件本人の状況
相手方の父は、満79歳の高齢で、高血圧のため通院や投薬を欠かせない状態であり、相手方が事件本人を引き取って監護することについては、母親である申立人や里沙と引き離すことになることを理由に反対していた。そして、平成8年5月18日、相手方父と相手方が事件本人の監護に関して口論になったことなどから、相手方、相手方の母及び夕子は、事件本人を連れて実家を出て行き、相手方宅(借家のアパート)で暮らすようになった。
事件本人は、平成8年4月6日から札幌市の小学校に通学している(なお、上記転居に伴い1度転校している。)。相手方は運送会社の運転手として、夕子はタクシーの運転手としてそれぞれ稼働しているため、事件本人の日常の監護は相手方の母(満72歳)が行い、相手方及び夕子がその補助をしている状態である。また家族の生計は相手方及び夕子の収入等で賄っており、今後も数年程度であれば申立人の母及び夕子の協力や援助が期待できるものと思われる。
相手方は、子煩悩で、里沙も引き取って事件本人と共に生活させたいという意向であるが、申立人に対しては不信感が強く、終始申立人側を非難している状態である。
一方、事件本人は、里沙に会いたがっている。
2 ところで、本件のように父母が事実上の離婚状態で別居し、子の監護につき協議が調わない場合において、子の福祉のため必要があるときは、家庭裁判所は民法766条、家事審判法9条1項乙類4号を類推適用して、子の監護に関し必要な事項を定めることができると解される。そこで、以上に認定した事実に基づき、母である申立人と父である相手方とのいずれを監護者とするのが適切であるかを検討する。
まず、当事者双方が受けている親族の協力や援助も加味して考慮すると、現時点においては、申立人と相手方は、健康状態、生活環境、経済力、事件本人に対する愛情及び熱意等いずれを取っても優劣をつけ難いといわざるを得ない。
ところで、申立人が事件本人を監護する場合には、申立人が監護の主体となり、他の者の協力や援助に大きく依存する状況ではない上、申立人の両親がいずれも50代で健康であり、家族間も円満であることが認められ、そうすると、今後長期間継続して事件本人を監護することにつき、現在のところ不安な要素は見当たらない。これに対し、相手方側では、事件本人の日常の監護が相手方の母に委ねられているところ、相手方の母は高齢であり、今後長期間継続して事件本人を監護することには不安が残る上、相手方の父が、事件本人の監護方針を巡って家族と対立して煩悶しており、このような家族間の軋轢が事件本人の情操面に影響を及ぼすことも懸念されるところである。
また、事件本人の健全な育成のためには、姉である里沙と一緒に生活させることが望ましいところ、事件本人が名古屋市で生活することを拒否していないのに対し、里沙が札幌市で生活することを明確に拒否していることからすると、兄弟を一緒に生活させるためには、事件本人を申立人の下で生活させるほかないと考えられる。
以上に加え、申立人の実家が、事件本人にとっては平成7年9月頃から平成8年1月頃まで居住して慣れ親しんでいた場所であることも考えると、事件本人が父である相手方の下で既に半年余り継続して生活していることを十分考慮しても、今後将来にわたり継続して事件本人に安定した生活環境を提供し、その健全な心身の発育を達成させるためには、母である申立人を監護者とし、その下で生活させるのが適切であるというべきである。
3 ところで、申立人は、本件において、「相手方は申立人に事件本人を引き渡せ。」との審判も求めているところ、事件本人の年齢(満7歳の小学1年生)や心身の発達程度に鑑み、その情操面に与える影響を考えると、本件において事件本人の引渡しにつき直接強制を肯定するのは相当でないから、主文の限度で上記申立てを認めることとした。
以上の通り、事件本人の監護者を申立人と定めて、その下において養育させるのが事件本人の福祉にかなうものと認め、主文の通り審判する。
(家事審判官 小林豊)